グローバル化について考える
一昨年「フラット化する世界(トーマス・フリードマン著)」を読み(というかAudio Bookで聞き)、激動のグローバル化した時代に備えたマインドを持っていないと恐ろしいことになるのではないかと自分の中で大きな危機感を持ちました。この本はアメリカが2000年以降、急速なIT技術の発達により多くのサービス業務がインドを中心とした国々にアウトソーシングされていく過程を描いたもので、ゾッとするような話が散りばめられています。
例えば個人の確定申告。国外にアウトソーシングされた件数は2003年に25,000件しかなかったが2005年には400,000件へと急上昇。インドでは毎年会計学を専攻した学生を70,000以上輩出。平均給与は月100ドルだといいます。しかもモチベーションレベルが米国で同じ業務を行うものと比べ遥かに高いといいます。次は放射線科医。米国の中小病院は平均年収が30万ドルを超える放射線科医を雇うお金がない。しかも絶対数は不足している。そこで中小の病院は(恐らく米国で資格を取った)インドやオーストラリア在住の放射線科医にX線分析を発注するという活路を見出す。価格は圧倒的に安く、時差を利用できるので効率的(夜発注を出すと朝には結果が届く)といいます。
最後に証券会社の投資調査(Investment Research)の仕事。上場している企業の決算を分析するという業務ですが、こうした業務の平均収入はニューヨークやロンドンだと80,000ドルだがバンガロール(インド)だと15,000ドルで済む。当然そういった仕事の多くはインドにアウトソースされていったという話。これ以外にも急速なグローバリゼーションが引き起こした思わぬ珍事件がいくつも出ていました。この中に出てくる一つ面白い話をセミナー用教材として作りましたので興味がある方はこちらをご覧ください。
著者のフリードマン氏は「今後貿易財の定義が『箱に詰めて送れるモノかどうか』から『品質を落とさずに長い距離を電子で送れるサービスかどうか』にシフトしていく」といいます。そして今後アウトソーシングされるか否かの職種として3つのカテゴリーに分けています。一つ目は特別、特殊なスキルを持った人。アスリートやアーティスト、有名な脳外科医など、専門的なスキルを持ったもの。このカテゴリーに属している人は引き続き安泰でしょう。二つ目はその場所にいなければ出来ないようなサービスを提供している職種。例として床屋、コック、庭師、離婚弁護士、ごみ収集者など。ただし、これらの給与は従来どおり需要と供給の関係で決まっていく。このカテゴリーに属する人達も給与の差はあるが安泰しています。3つ目のカテゴリーはデータ入力や企業分析、会計、放射線を扱ったりするその場所にいなくても問題ない仕事だといいます。
確かに日本のサービス業は日本語という言葉の壁に守られています。よって現在のアメリカに比べればサービスのグローバル化の影響はほとんど受けていません。コールセンター業務の一部が中国大連にアウトソーシングされている程度でしょうか。しかし言語の壁は守られ続けるのか。内外価格差があまりに違う場合、途上国に住む人々は必死に日本語を学ぼうと努力するのではないか。最近フィリピンで現地の日本人学校にフィリピン人が通っているという話を耳にします。英語ができるよりも日本語が出来たほうが高い給与が保証されるからです。とは言っても日本人はサービスに対し要求する水準は高く、外国人では要求レベルを満たすことができないのではないかという文化面の話があると思います。その壁は非常に高いと。しかし今後失業率が上昇していけば、逆に日本人を外国に移住させ日本にいる時と比較して圧倒的安い給与で、ただし現地では比較的裕福な生活が出来るレベルの給与で払うというオプションも出てきます。とにかく日本企業は今後グローバル競争に勝ち残っていくためにもコストを抑え、新規投資をしていかなければならない。1年前の人不足時代では出来なかったことが、今後行われる可能性がある。
もちろん語学の壁に守られ続ける可能性はもちろんあるでしょう。今後はどうなるかは全く分かりません。ただ、語学の壁がなかったとして米国を日本に置き換えてこの「フラット化する世界」を読むとゾッとします。例えば会計の話をすれば、今後日本、米国、欧州と3つあった国際基準が一つに統一されていく。ルールが統一化されればアウトソーシングしやすくならないのか。深刻な医師不足の問題の解決策として、アウトソーシング出来る仕事は外に出すオプションが出てくるのではないか。激動の時代に備えて個人としてどのように生きるべきかについて真剣に考えるようになりました。
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