教育と雇用のミスマッチ

教育と雇用のミスマッチ


childrens_future.jpg

「募集されている仕事が全然埋まらず、失業率が高く推移している。もしかしたら求められている人材が教育されていないのではないか。」

今週号の英エコノミスト誌に米国に関する面白い記事を発見。アル・ゴアをノーベル平和賞にまで導いた映画「不都合な真実」の製作スタッフが今度は上記質問に挑むドキュメンタリーを作ったとのこと。

このドキュメンタリーの中にワシントンDCの教育長Michelle Rhee氏が市長の全権委任の元、「優秀な先生は給料を倍増させる。その代わりtenure(終身地位の保証)制度を止め、先生には業績に応じた給与システムを受け入れてもらう」ことを全米先生組合に提案するシーンがあるといいます。

もちろん組合は大反対。つい最近行われた次期市長を決める民主党の予備選において同組合は対立候補に約1億円寄付し、現市長は負け、Rhee氏と共に政治の舞台を去るといいます。そして組合にとってより好意的な市長が誕生する。


普段であれば大したニュースにならなかったようなこの事件。冒頭の社会情勢とあって、注目を集めているようです。新興国の教育インフラが急ピッチで整備されていく中、今までと同じような教育を繰り返し行っても、従来のアメリカ内で行われていた仕事が国外に出て行くばかりで、雇用のミスマッチが一向に解消されない。

それではどういった人材が先進国では求められているのか。以前このブログでも紹介しましたが、IBMが隔年で発表しているGlobal CEO Reportにヒントがあるように感じます。これはIBM社が1,500名社以上のグローバル企業のCEOと直接面談し、世界のトップが今後の世界情勢をどう見ているか、そしてそれにどう対処していこうとしているかを調査したもので、簡単に要約すると

  1. 世界のビジネス環境は今後5年間、かつて考えられなかったほど「複雑化」していくこと。
  2. 半分以上のCEO(最高経営責任者)がこれに対処していく自信がないと答えていること。
  3. 「複雑化」する時代に最も求められるスキルはCreativityであること。

が上げられていました。現在米国ではMBA(経営学修士)よりもMFA(Master of Fine Arts)、別名デザインスクールに注目が集まっています。MBAは経営者を育てるのに対して、MFAはアーティストを育てます。しかし、2004年度の米教育省データによりますと出した学位数はMBAの14万人に対しMFAはわずか1,000人。こうした背景もあり、ここ数年はMBAとデザインスクールの連携が増えてきています。

アメリカですらこんな状態。果たして日本は大丈夫なのか。大変危機感を持っている人は少なくありませんが、そもそも、「どういった人材が今、社会で求められているのか」という発想は小学校教諭から大学の教授まではあまりないような気がします。企業も大学側にそういった特殊なスキルを求めない。先日話したある大学教授は「企業は色が着いていないまっさらな学生を求め、一からその企業色に染めたがる。変に色がついていると扱いづらいので敬遠する」といっていました。またCreativityというと一部の有名なクリエーターのみもつ特殊な才能と思い込んでいる人が多い。

いま、どの国の政治家も政策の第一目標を「雇用」と叫んでいます。雇用を生むのは政治家ではありません。時代の要請に応じた人材を育成すること。教育が益々大切になります。そういった時代背景からか、最近、世界を知った若い人たちが高給を捨て、よりやりがいを求めて教育の世界に飛び込んできています。これには希望が持てます。

最近、Rhee氏がOparah Winfrey氏の番組に出演したようです。この番組は日本で言えば「徹子の部屋」の数百倍影響力がある米国のモンスター番組といわれています。その中で、Rhee氏は教育改革について熱く語り、最後にスタンディングオーベーションが起きたようです。

このドキュメンタリー、タイトルが”Waiting for ‘Superman’.”といいます。公立の学校において悪い先生をクビに出来ないのであれば、良い先生がいる学校に入学希望者が殺到します。そして人生を決める一大抽選会が行われる。予告編からそれを垣間見ることが出来ます。人生を抽選に任せてしまって良いのか。大変重いテーマです。是非以下の予告動画をご覧ください。


Posted by Masafumi Otsuka

3

3

comments

    Oct 08
    2010

    deziz

    お久しぶりです。
     今回の記事と貼り付けてあるTrailerを見ながら、たくさんのことを短い時間の中で考えました。アメリカの教育に関してごくごく部分的なことですが・・。
     私は(アメリカ東南部の州で)コミュニティー・スクールのAdult Literacy Program傘下のESLのクラスでインストラクターをしています。少し前に全州のAdult Literacyが主なテーマであるconferenceに参加させてもらって以来、成人識字教育についてすごく考えるようになりました。
     私が携わっていること、私の周囲、を見渡した時、大塚さんのこの記事に登場する、「ビジネス」、「MBA」、「経営者」、「企業」といった、社会(の特に経済活動を)リードしていくことに関連する言葉とは程遠いイメージの現実に私は囲まれているように思います。これは別に否定的に言っているのではなく、私のごく身近なところで行われていることの多くは、社会をリードしていくことに関する教育などではなく、もっととても基本的な、生活していくための教育がなされているからなのです。
     ESL関係であれば、非ネイティブ・スピーカーとの接触が多いですが、彼らがよりよく生きていくために基本的に必要な、識字能力を含む言語(英語)能力を向上させていく、というのが目標です。その活動の中では、こちらの社会でごく当たり前である慣習とか、アルファベットのcという文字が「k」の音にも「c」の音にも発音されるといった、基本的なことを知らせていく必要があるわけです。
     ESLのコースよりも、もっと拡大が進んでいるのは、GED(General Educational Development)Programです。主に高校をdrop outした人達が、高校レベルのアカデミックスキルを取得し、GEDテストにパスしてCertificateを得、それを雇用に生かそうと、現在生徒数とクラス数が増加中です。このプログラムの中では、日本の中高で学ぶ数学とか、私達が中高で教わる英語の文法やpunctuationなども含まれます。つまり、巷には、『基本的な学力』を持たずに日々の生活を送っている人々が多いと言えると思います。
     識字力、言語能力をあまり身につけていない場合と、少しずつ身につけている学習者を比べた場合、生活していく上で理性・客観的に物事を考える力のレベルや、希望を持って機会を探ろうとする意思のレベルが違ってきているように思えます。
     Creativityもこの辺の基本的なレベルを上げていってこそ、培われていくものではないかなと私は思っています。
     一方、教える側からすると、より「基本」を教えることになればなるほど、教えるスキルや根気が試されるものではないかと思います。先日のconferenceに参加して感じたのは、ABE (Adult Basic Education)Teacher(=GEDプログラムなどで教えている)と呼ばれる人達は、日々、根気強く、本当に地道な実践をしてあるのだなということでした。それと平行して(小中学校の教員も同様かと思いますが)、学校の質のレベルを上げていくための一環として、教員達のcredentialを高めるためということで、オンラインのコースなどで必要な単位をとるように、などといったプレッシャーもあります。つまり、現場に即したことを日々実践しながら、上から求められるqualificationのupgradeもしているわけです。草の根レベルではそういったことが日々営まれています。
     「良い先生」、「優秀な先生」、「悪い先生」などと分かりやすい言葉で教員を区別することで、子供・学習者に少しでもより良い教育について考えることも大事なことだと承知しています。が、同時に現場目線、草の根レベルのことの一部でも伝わればと思ってコメント投稿してみている次第です。長くなりまして、すみません。

    Reply
    Oct 08
    2010

    Masafumi Otsuka

    dezizさん 現場で起きているレポートを投稿していただき、ありがとうございます。非常に伝わってきました。今回記事を書き終わった後、IBMのCEO Reportを入れてしまった為にフォーカスがずれたのではないかと思っていたところでしたのでご指摘いただいて感謝です!
    Trailerの中で6万人中4万人Drop outを出した高校の話が出ていました。そして高校を卒業出来ない人は8倍、出た人に比べ刑務所に入る確率が高いことも謳っていました。そして識字力はどんどん落ちていると。確か英語に限って言えば識字率が6割を切っているような話を聞いたことがあります。
    そもそもこうした基礎的なスキルがないと雇用の舞台にも登れない。GEDプログラムについては知りませんでしたが、既にDrop outされた大人を対象にこういった問題を現場レベルでは必死になって解決しようとしているんですね。KIPPなどチャータースクール(公設民間運営校)では志の高い先生を集め、目標を大学に入れようと7:45~17:00までカリキュラムを組み、かなりの成果を上げていると以前本で読みました。
    しかし、いま例え「よみ、かき、ソロバン」が出来ても職にありつけない人がたくさん出てきています。でも仰るとおり、最低でもこれが出来ないと雇用の舞台にすら登れない。日本でも全く同じことが起きています。識字率ほぼ100%でも平均給与が13年連続で落ち続けている、大学内定率も7割と低く、潜在失業率を入れると失業率はとても高いのではないかとつい先日の日経にも書いてありました。
    今後米国を含めた先進国でさらに生きにくい時代になっていくことは間違いありません。そんな中で個人としてどう貢献できるか。今求められているのは子供も大人を含め将来に向けてInspire出来る先生(人)ではないか。そのように感じられます。非常に考えさせられました。またいろいろと是非教えてください。

    Reply
    Oct 12
    2010

    Masafumi Otsuka

    追記:どうやらMITのDavid Autor氏によると現存する雇用は低賃金と高賃金に偏り、その中間層の雇用が生まれていないというのがより実態に近いようです。特にホワイトカラーや工場労働者に対する需要が2007年から2009年までに8%も減ったとのこと。そしてこれは教育格差によって生まれていると指摘しています。何だかさらに考えさせられます。

    Reply

Leave a Reply