不確実な時代に安定を求める
Uncertainty is the essence of life, and it fuels opportunity.
–Tina Seelig
「不確実な時代に安定を求める。これっておかしい。」先日友人とランチ時に何気なくいったら、「大塚さん、それは違いますよ。不確実な時代だからこそ安定を求めるんですよ。」といわれ、ハッとしました。そして、年初の週間東洋経済で「公務員」が名だたる一流企業を抑え、人気企業ランキングトップに立ったという記事を思い出しました。
- 不確実な時代 → 従来と同じことをやっていては食べていけない → 何か新しい、今までなかったことに挑戦してみよう
- 不確実な時代 → 何をしたら良いのか分からない → 確実に、安定収入の入るところにいよう
この2つのマインドの違いは何か。「不確実な時代」に「確実なところ」。なんだか頭がこんがらがってしまいます。そんな場所は果たしてあるのか。
冒頭の引用。いつものようにスーパー意訳しますと「不確実性は人生において必要不可欠で、大きな扉(可能性)を開いてくれる」とTina Seelig氏(Stanford大学デザインスクール教授)はその著書”What I Wish I Knew When I Was 20 (邦題:「20歳のときに知っておきたかったこと」)”に書いています。
「20代の頃、自分がやりたかったことと周りが自分に期待することを区別することが非常に難しかった」と彼女はいいます。周りの期待に応えたい。裏切りたくない。いつしか「自分がやりたいこと」を考えるのをやめ、「周りが期待する自分を目指す」ようになる。特に日本の場合は世間体というものがあり、「周りの期待に応えなければ」と思う傾向が米国以上に強い気がします。
そもそも二十歳やそこらで本当に自分がやりたいことなど分かるはずはない。26歳の時、銀行を辞めるとき当時の副支店長に「おまえは26にもなって自分のやりたいことが分からないのか。」といわれ、「そういう副支店長こそ、いま自分の本当にやりたいことをやっているのか」と喉から出掛かかったのを思い出します。
銀行を辞め、2年間ニートをやり、MBA留学し、起業。そしてリーマン・ショック以降、激減する売上の中、数ヶ月先の資金繰りしか見えない状況まで追い込まれる。そこで普段だったら絶対に断るような、自分にとっては”high risk”な仕事をやむを得ず引き受け、自分では見えていなかった自分のユニークさに気づき、37歳にしてようやく自分がやりたいことが何となく見えてくる。
自分の本当のやりたいことは「スキル、パッション(熱意)、マーケット(経済環境)が交差したとき、初めて見えるてくる」とSeelig氏はいいます。それには何か特別なチャンスが来るのを待っていてはいけない。常に自分から動きまわり、何かに挑戦し、自分のスキルアップや何に熱意を感じるか、またその理由について考える。そこに突然チャンスが現れ、それに乗れるかどうか、リスクが取れるかどうかで決まるのではないか。
リーマン・ショックがなければ、「不確実な時代」に入らなければ、このブログも絶対にやっていなかった。2年以上前の自分に「自分の日ごろ考えていることを公の場で書く」勇気も発想すらもなかった。
- 不確実な時代 → 従来と同じことをやっていては食べていけない → 何か新しい、今までなかったことに挑戦してみよう
- 不確実な時代 → 何をしたら良いのか分からない → 確実に、安定収入の入るところにいよう
後者のマインドをいかに前者に変えていくか。先週大学で講義を持つ友人に講師代行を頼まれ「38歳の自分が大学時代の自分に戻って伝えたいこと」と題する授業を行ってきました。
「二十歳やそこらで本当の自分がやりたいことなど分かるはずがない」といったとき、何だかホッとした空気が流れたような気がしました。どれだけ響いたか分かりませんが、リスクを取り、時には失敗し、恥をかきながらも、本当の自分を見つけ、思いっきり個性を発揮してもらいたいものです。少なくてもそういう人材を世の中は求めています。
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