ありのままの自分でいる大切さ

ありのままの自分でいる大切さ


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本当の自分を見つけ出す文章術.jpg“The most modest and sensitive people are the most talented, having the most imagination and sympathy, these are the very first ones to get killed off. It is the brutal egotists that survive.”
–Brenda Ueland
前回紹介しました”If you want to write (邦題:本当の自分を見つける文章術)”という本、てっきりWritingに関する本だと思っていましたが、実はCreativityに関する本でもあり、この分野に関し昨年読んだ多くの本の中で最もinspirationを受けた本でした。過去1年間読んだ本の中で文句なしのNo.1の本です。70年以上前に書かれた本にも係わらず、文章が非常に読みやすく、温かい。今後益々重要になってくるCreativityについて非常に考えさせられました。
冒頭の引用。意訳ですが、「内気で繊細な人にこそ大きな想像力や共感力が備わっている。しかし、こうした人たちは自己中心的な自信家によって真っ先にその才能が抹殺されてしまう」、激しく同意してしまいます。誰しも「お前そんなことも知らないのか」、「その考え、バカじゃないの」といわれたくありません。私は帰国子女で小学校がすっぽり抜けています。

帰ってきた当初等京都も大阪もどこにあるか分からない。「それってどういう意味?」「自分はこう思ってんだけど。。。」と深く考えずに言ってしまい、その度に「お前そんなことも知らないのか。」「なんだそれは。バカじゃないの。」といわれしまう。それが恐くて何も聞けなくなっていた、考えを発信できなくなっていた時期がありました。そうなると折角持っている個性、Creativityが抹殺されてしまいます。
「誰しもが個性、Creativityを持っています。しかし、ありのままの自分を見せないとそれが出てこないんだよ。」と著者のUeland氏は温かく包み込むように、いろいろな話を通じて角度を変え、懇切丁寧に語ってくれます。特に良い文章とは「他人に思われたい、こうあってほしいと思う自分ではなく、ありのままの正直な自分をシンプルに書くこと」といい、心に刺さる素晴らしい一般人が書いたWritingを沢山紹介しています。例えば:
Hurry! Hurry!
BY MISS LEE FRISBIE
Rushing thru the kitchen getting dinner, then the serving, waiting on fussy tots and the numerous little tasks that must be done. Then the dishes stacks of them, tidying up the kitchen, getting the tots off to dreamland then guess what the time may by. Only 9 after a hard day’s work should have been thru an hour ago. Hurry! Hurry! When you hurry so fast you just can’t hurry any more. I heard that word so much that it’s boresome to hear it ever again.I’d really like to walk down town someday and really mosey along at any rate of speed desired and hear the word ringing in my ears, “Idle, idle,” instead of “Hurry, Hurry”-and even tho no cash to spend just go window shopping.
これは恐らく当時の奴隷だった女性が書いた文章だと思われ、ありのままの姿をシンプルに正直に表現されており、私には非常にCreativeで多くのメッセージがこめられている文章に感じます。
Ueland氏は批評家を激しく批判しています。こうした人たちが本来であれば引き出してあげなければならない、人の個性、Creativityを殺していると。
本を読み終わり、「お前そんなことも知らないのか。」「その考え、バカじゃないの。」は褒め言葉として捉えるべきだと強く思いました。個性、Creativityを出しているからこそ、いわれることであり、もし最近いわれていなかったら自分の個性、Creativityを自ら殺しているのではないか。逆にこのように言ってしまう、自己中心的な自信家(批評家)はそう言ってしまうが為に自分にプレッシャーがかかってしまい、個性、Creativityを発揮できない可哀想な人達なのではないか。そのような強いマインドを持って行きたいと心から思わせる大変Inspireされた本でした。今後ますますグローバル競争にさらされる日本人に必要なマインドセットを70年以上前に出版された本が代弁しているというのは、非常に不思議に感じます。

Posted by Masafumi Otsuka

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comments

    Jan 22
    2010

    deziz

    こんにちは。
     Writingとは関係ない内容になってしまいますが、「ありのままの自分でいる」事に関することで少し書いてみたいと思いました。
     例えば(私の在住する)アメリカと日本とを比べた場合、私自身、日本では「ありのままでいる」ことをあまり許してくれていなさそうに感じることはよくありました。自分や他の人の「ありのまま」の価値を見出そうとするよりも、それぞれの「役割り」をまず見出して、その役割をどれだけ果たせているかどうか、もしくは”その役割上”どれくらいユニークであるか、というようなことを見出したがるのかなぁと、感じていました。
     ですが、アメリカの人たちにも、ユニークさに価値を置くばかりではなく、ある一定の基準でばかり人を見る傾向があるのだなぁと気付くようになりました(どこの国の人にもあることだとは思いますが)。”keep up with the Jones”というイディオムが示す通りです。例えば、一戸建ての家に住み、車を2台以上持ち・・・等の中流の”常識”です。その”常識”がときにもたらす事として、同じ(特に経済的)クラスの人とばかり一緒に居たがるんですね。そうして、違うクラス、特に”低い”クラス、異文化を背景に持つ人たち、と交わることを避けるか、もしくは、”助けてあげなければいけない不幸な人たち”みたいな見方をしてちまいがちだと思えるのです。ひどい場合は、敵意を持つ人たちもいますが・・。
     ですから、そういう風に閉じてくると、ますます違うグループの人たちのことに関して無知になってしまい、悪循環だと思えます。例えば、(私自身を日本人として紹介してもらったにも関わらず)北京オリンピックの直前に、「今度あなたの国でオリンピックがあるわね」と言われたというようなことは、まだかわいいうちだと思いますが・
    ・(^_^;)
     私は幸い語学関係の仕事に少し関わらせてもらっているので、異文化、異言語に興味を少なからず持っている人たちと知り合えていますが、私の住む小都市では、そういう関係の場でない限り、なかなかそういう人たちに出会うことは難しいように思えています。
     日本で出会う「外国人」であれば、来日していること自体が、異文化にオープンにならざるを得ない人たちでしょう。
     大塚さんの記事の内容に戻すべく、(無理やり?)関係づけますと、違う種類の人たちと触れ合うことによって、選択肢の多様さ・豊かさを経験・享受でき、それゆえにその幅を狭めてしまう社会やある種のグループの人たちに対する疑問が生じ、繊細な感情が働き、発想の自由さ・おおらかさ(creativity)も得られるのではないかなぁ、又、そういう感情の動きに気付く過程の中で、自分自身がどういう人間なのか、という「ありのままの自分」を知って、受け入れていけるのじゃないかなぁ、と私は考えています。
     違う人たちと接することによって、自分の”常識”が”効かなく”なることは、大変”痛い”経験ではありますが、あとあといいものですよね!
     長くなってすみません。それでは。

    Reply
    Jan 24
    2010

    Masafumi Otsuka

    > 違う種類の人たちと触れ合うことによって、選択肢の多様さ・豊かさを
    > 経験・享受でき、それゆえにその幅を狭めてしまう社会やある種の
    > グループの人たちに対する疑問が生じ、繊細な感情が働き、発想の
    > 自由さ・おおらかさ(creativity)も得られるのではないかなぁ、又、
    > そういう感情の動きに気付く過程の中で、自分自身がどういう人間
    > なのか、という「ありのままの自分」を知って、受け入れていけるの
    > じゃないかなぁ、と私は考えています。
    素晴らしい言葉ですね。なかなかうまく書けませんでしたが、dezizさんの言葉すごく響きます。
    アメリカでも人種毎に固まり、ほとんどの人がその中だけで過ごそうとしますが、違った価値観・考え方が存在ことを体感する場面は必ずありますね。そこが日本とは決定的に違うような気がします。意識せずに自分はちょっと違うことにその比較の中で気づきます。
    最近出来る人(優秀という意味で)が無意識にやっていることをどう意識化(見える化)していくか。とくに日本人で世界を舞台で活躍し、Communication力の高い人は大抵の場合、どうして自分がうまく出来ているのか説明できない。こういったことについていろいろと考えています。

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