帰国子女の苦悩

帰国子女の苦悩


帰国子女の苦悩帰国子女はグローバルミーティングなどで、日本人とネイティブとの間に入り、双方のbridge的な役割を期待されますが、それが機能しているケースが少ないように感じます。

Bridgeになるどころか逆にネイティブのように振る舞ってしまい、周りの日本人を置いていってしまっているケースの方が多い。以前あるグローバル企業に勤める日本人が

「せっかく英語によるミーティングが良いスピードで進んでいて、しっかりと参加できていたのに、帰国子女の人が入った瞬間、話すスピードが一気に上がり置いていかれてしまう。」

と嘆いていました。

何故多くの帰国子女がbridge的な役割を果たさないでいるのか。今回は帰国子女の視点に立ち、彼ら、彼女らが抱える心の葛藤を知ってもらいたいと思います。

私は帰国子女です。4歳から12歳までアメリカで育ちました。「帰国子女」というとまず「羨ましい」と言われます。今となれば多感な時期に他の文化圏で育った価値は感じますが、「出来ることなら日本にずっといたかった」と思っていました。

何故か。産業能率大学の准教授でご自身、7歳〜14歳までフランスで育った帰国子女である武内千草先生が書いたコラムが当時の私の気持ちをうまく代弁しています。

武内先生は14歳で帰国し、地元の公立中学に編入したときの出来事についてこう書きます。

「フランス語をしゃべって!」とクラスメートに頼まれ、嫌々ながらしゃべると、後で「自慢している」と陰口を叩かれた。「トイレに一緒に行こう!」と誘われた際、「えっ?一人で行けるから大丈夫。」と答えたらそれから口も利いてもらえなくなった。

極めつけは、ホームルームで「誰かこの件で意見はありませんか?」と委員が言うので、手を挙げて意見を言ったら、ホームルーム委員に怪訝な顔をされ、先生にさえ「和を乱す」と言われてしまった。

フランスでは、何も言わないのは自分の意見が無いとみなされ、とにかく自分が考えている事を言葉で表すように教育されてきた私には、なぜ自分の意見を皆の前で言うことが和を乱すことになるのか皆目わからなかった。このような転校生は皆には目障りだったのだろう。

それから半年間ほど、色々な場面で陰湿ないじめにあった。私はいじめられることに関しては果敢に戦ったと自負しているが、いじめが収まった頃の私は、自分の中の「フランスらしさ」を極力消すようになっていた。

その当時のわたしにとっては、7年間のフランスでの生活はマイナスな要素でしかなく、フランスに私を連れて行った両親を恨んだ。

私は小学校6年生の2学期に帰国しましたが、いじめの程度には若干温度差を感じますが、全く同じようなことが起き、心に深い傷を負ったのを今でも良く覚えています。

私には1歳半年上の兄がいますが、彼は公立の中学に通い、当時考え得るイジメ方法のほとんどを受けたようで今でも中学時代の話をしようとしません。

少しでも日本的な発想から逸れたことを言ったり、日本人らしくない行動を取る度に、恥をかかされ、叱られ、罰せられた経験から私は、必要以上に「日本人になろう」という強い意識を持ち続けていました。

自分のアイデンティティが確立する15-16歳になる前に帰ってきた帰国子女の多くは、帰国後、自分が帰国子女であることを隠そうとするように見えます。目立つと何をされるか分からないという恐怖から、当然英語の授業でもワザと日本語っぽく英語を発音するのは帰国子女の暗黙のルールといってもいい。

こうした心の傷から、社会人になってからも、英語を使う現場では周りの日本人にどう思われるのかを過度に気にしてしまう。以前日本の大企業に勤める帰国子女から以下のような相談を受けました。

ブリッジにならなければいけないというのはわかっているつもりです。一方で、個人的にはそのような局面に置かれたときに、むしろ外国人よりも日本人の方々に対してどう対応するべきかで戸惑うことが多いです。

果たして周囲の方々は自分に対してそのような役割を求めているのか、おせっかいではないのか。こちらはもしかしたら私の性格のせいなのかもしれません(帰国後色々あり、どちらかというと日本人の方々に対して警戒心があるというか…おかしいですが)。

被害妄想と言われてしまうかもしれませんが、「あっ、今のアメリカ人の説明、難しかったので、周りの日本人にうまく伝わっていないかも」と思っても、あえてそこで議論を止め、英語でもっとシンプルに「いまこういうことを言ったの?」と確認したり、確認後それでも伝わっていないと感じたら、日本語で「いま、説明が難しかったので、私も意味が分からず確認しましたが、**ということを言いたかったようです」とは、その後、周りにいる日本人の一人にでも「何だ、あいつ。そんなのわかっているよ。格好つけあがって!」と思われる危険を1mmでも感じたら恐くて出来ない。

また、ゆっくりと分かりやすい単語で英語を話すのは大事だと感じながらも、あまりにゆっくりと話すと「英語のできる日本人からバカにしていると思われないか」を過敏に気にしてしまう。さらにゆっくりとシンプルな単語で話すことで、外国人から「この人、頭の回転が遅いのでは」と思われるのではないかと考えたりもする。結果、どう話したら良いか分からずネイティブのようにスラスラと話してしまう。

本当のbridgeになるのであれば会議に参加している日本人、一人でも置いていかれる状況を作ってはいけないのに、これが出来ない。前述の方はこう続けます。

個人的には、こちらから積極的にそのような役割を果たせることをアピールするより、甘えではあるのですが頼っていただいた方がやりやすいという感じに陥ってしまっています。その点が現在の悩みです。

結局日本サイドで帰国子女という大きな武器を持ちながら、それをうまく活用できず、帰国子女も過去に負った傷から、bridgeとして、どう振る舞って良いのか分からない。その為、多くの日本人がミーティングに積極的に関わっていけないばかりか、置いて行かれしまうケースが多い。

結果、グローバルミーティングは外国人同士(特にネイティブ同士)で勝手に盛り上がり、日本からの意見や日本から見たリスクが出てこないまま、その場でdecision makingが行われてしまう。これでは良いdecision makingが出来ない。

悪いdecision makingはproductivityを大きく下げ、外国人、日本人、帰国子女、全員が損する。その結果、会社全体が大きな損失を被る状況を、よく見かけます。

だったらどうしたら良いか。私自身、現在、帰国子女が参加する企業のGlobal研修で色々と試していますので、その報告は別記事で書こうと思いますが、帰国子女をbridgeとしてうまく活用できている企業に勤めている方。どうされているのか、是非教えてください。


Posted by Masafumi Otsuka

1

1

comments

Leave a Reply