貢献とcontributionの違い

貢献とcontributionの違い


contribution ビジネススクール時代には何百ものDiscussionに参加し、最近ではDiscussionを仕切る機会が増えてきました。特に仕切るようになってからいろいろなことに気づかされます。前回と前々回の記事で日本語と英語によるDiscussionの違いについて触れました。今回は誰しもが躊躇する「英語によるDiscussionでどのように貢献すべきか」について考えていきたいと思います。

まずは質問。皆さんは「貢献」という言葉を聞くと何を連想しますか。恐らく「社会貢献」や「国際貢献」を想像するでしょう。日本で「貢献」というと、個人で何かするというよりもまとまって何か大きなことをするという意味での使われ方が多いように感じます。これは社会の中で集団意識という概念が強いために、個人として目立って何かをするというよりも「みんなで力を合わせて大きなことをする」というストーリーの方が好まれるという文化的な背景が強い為だと思われます。よって「貢献」というとどうしても広義に捉えてしまいます。

対して英語で”contribute”というと、寄付的(例えばcontribute money to~)な意味合いが強く、例え小さなことでも個人として何ができるかという狭義で使われます。この「貢献」と “contribute”のギャップこそDiscussionに出席する多くの日本人を苦しめているように思えます。

私が見るに日本人は”contribute”を「貢献」と考え、誰の目から見ても明らかに価値のある情報でないと発言してはならない、つまりホームラン(せめて2塁打)を打てなければバッターボックスに立ってはならないと考えている方が非常に多い。また質問する側というよりも、常に答える側にまわろうとする傾向が強いように感じます。これは「考えをちゃんとまとめてから話しなさい」「まず自分で調べてから聞きなさい」「知らないことは恥すべきこと」が幼少時代から強く刷り込まれていることが原因のように感じます。

そういった姿勢でDiscussionに臨むと出席者間で「ああでもないこうでもない」という作業をやっている間、それに参加出来ず、Discussionをまとめる側に立とうとし、それが出来ず悶々としてしまう。悶々としているのはまだいい方で、大部分は「ああでもこうでもない」の作業中に話の内容にが分からなくなってしまい、貢献どころかどのような結論に達したか分からないまま終えてしまう。

面白いことに話の内容を初めから終わりまできちんと理解すると、実際に話されている内容は決して難しくないことがよく分かり、それだけでも自信がつきます。だからこそ第一ステップとしてActive Listeningの姿勢が大変重要となります。DiscussionにおいてActive Listeningをする過程(細かな質問により発言者の真意を理解しようとする姿勢)が実は立派なコントリビューションになっていることを気づいている人が少ない。その理由は

  1.  周りの議題の理解レベルを深める役割を果たしていること
  2.  議論のスピードを緩めることによって、参加者に深く考える時間を与えていること

が考えられます。実際に私はビジネススクール時代、単語や聞いたことがない会社や商品が出てきた時は必ず議論を止め、聞くようにしていました。すると必ず他の外国人が授業後に私のところに来て「モス(私のアメリカでのあだ名です・笑)ありがとう。実はその単語、私も分からなかったんだ。」といってくれます。これは立派なコントリビューションです。

では次のステップである「ああでもこうでもない」の議論にどう参加すれば良いのか。ここで大切になってくるのが”Stepping Stone”になるという考え方です。大きな川を濡れずに渡る際、川に散りばめられた岩があればそれを伝って渡ることが出来、助かりますね。”Stepping Stone”はその一つ一つの岩を指します。つまり問題を解決する為の(川を渡る為の)踏み石を引き受けるのです。それにはその場で思いついたことをとりあえず言ってみることが重要になります。その発言がStepping Stoneとなり新たな発想が生まれ、問題解決に一歩近づく役割を果たすのです。

いい例かどうかは分かりませんが一つ例を出します(せめてこれが理解へのStepping Stoneになるとうれしいです・笑)。オランダのある街はずっとゴミのポイ捨て問題に悩まされていました。ほとんどの通行者が設置されたゴミ箱を使わず、タバコの吸殻やビール瓶、チョコレートの包み紙、新聞やその他大勢のゴミをそこら中に捨てるため、街ではゴミが氾濫しています。そこで衛生局の人間が集まってこの問題をどう解決したら良いか議論をしました。

「ポイ捨ての罰金を2倍に上げたら」や「清掃の回数を増やしたら」と多くの意見が出ましたそれで解決するようには思えません。するとある人が、「通行人自体に清掃員に変えることは出来ないか」と言い出し、それがStepping Stoneとなり「ゴミ箱が捨ててくれた人にお金を払うことは出来ないか」と他の意見を引き出します。

すると発想が「捨てた人を罰する」のではなく「きれいにした人をRewardする」に変わりそれがさらなるStepping Stoneを呼び、最終的に「お金ではなくジョークを沢山用意し、センサーでゴミが捨てられたことを察知したらジョークを話し出すゴミ箱を作ろう」ということになり、その結果、街が大変綺麗になったという話です(ジョークを話すゴミ箱を導入したというのは実話です)。

こうしたStepping Stoneになるような発言は「考えをちゃんとまとめてから発言しなさい」と言われ続けた私達には恐くてなかなか出来ません。何か思いついても結論まで準備しないと、考えを掻き消す自動スイッチが作動してしまう習性を我々は持っています。しかもこれを無意識でやっているように思えます。このマインドをもっている以上「ああでもないこうでもない」議論に参加できないのです。

とにかく議論を聞いていて何か思いついたことがあればとにかく発言してみる。外国人がこれを言う場合、”I’m just throwing this out there but…(とにかく議論に放り投げるけど。。。)”と言いながら話し始めることは良く耳にします。

こう考えると我々がいかに議論というものを難しく考えているか分かります。日本人のマインドセット(「相手の気持ちを大切にする」「考えはまとめてから話す」「まずは自分で調べてから聞く」等)で欧米人のやるような議論でcontributeすることは不可能に近いのです。このことにまずしっかりと認識しなければいけません。もっとシンプルに「バカになってもいいのだ」「思いついたことは深く考えず話してしまえ」というマインドで臨めばいいのです。

是非騙されたと思って、自分を信じ、思いついたことを自動スイッチで掻き消さず、発言してみてください。議題に喰らいついていっている限り、必ずStepping Stoneになっていることを保証します。特に私の仕切るDiscussionではそういったリスクをとった人には大きなSatisfactionを必ず感じていただきます(笑)。


Posted by Masafumi Otsuka

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