アートとコミュニケーションの深い関係

アートとコミュニケーションの深い関係


art_of_communication.jpgアート(芸術)とは感情の伝達である。。。それも一瞬で伝わらなければならない。。。深く考えたり、(無理に)好きになろうとしたり、専門家の意見を聞いた後で、『なるほど。これは素晴らしい!これこそ本物だ!』と思ったらそれはもはや芸術ではない。
-トルストイ

トルストイ。本は一冊も読んだことがない。しかし深い。。。

この「芸術」をそっくり「コミュニケーション」に置き換えて考えてみると、面白い。「大切なのはその場で伝わるか伝わらないか。分かるか分からないか。分かったフリをしたり、あとで自分で調べてみたり、人に聞いたりしてはじめて『なるほどそういうことを言っていたんだ』と思ったらそれはコミュニケーションではない」、と。

難しいことをいかに複雑で頭が良さそうに説明するスキルを持つ者がかつては評価されてきたような気がします。例えば随分前ですが、ある著名な方が以下のようなことを書いていました。

「世界は多様だと言われる。人それぞれが自らの価値観を主張するだけならば、確かに世界は多様になる。しかし、自らの価値観と他者の価値観との間のギャップについて思いめぐらすようになれば、自分と同じように思いめぐらしている人が地球上のあちこちに存在していることを知り、その同一性に驚く。」

。。。参った。。。意味がスッと入ってこない。今でも何となくしか意味がわかりません。でも偉い人が書いたことなので何だか理解できない自分が悪い。分からないのは自分が勉強不足だからとつい思ってしまう。このマインドセットについては今まで沢山書いてきました。

溢れかえる情報。24時間メールに追われ、とにかくみんな忙しい。3年前にロイター発の記事で「人の歩くスピードが10年前に比べ10%アップした」とありましたが、恐らく今調査したらさらに2割はアップしているでしょう(笑)。

最近日本人同士のコミュニケーションの取り方も変わってきているように感じます。以前「英語仕事人に聞く」でインタビューしましたヘッドハンターで「抜擢される人の人脈力」の著者である岡島悦子さんが

「終身雇用の時代には、暗黙のルール、ものごとの進め方等、その会社独自のお作法があり、いちいち説明しなくても大丈夫でした。しかし、近年今までコア人材として採用してこなかった女性、中途社員や外国人が入ってくるようになり、いままでのやり方で踏襲しようとしても『おいおい分からないよ!』と、きちんと議論をしなければ前に進めない時代になってしまいました。」

と2年前に話していましたがその流れが、さらに加速してきているのを感じます。とはいってもやはり「相手を不快にさせないこと」が「相手の話の内容を100%理解しようとすること」より優先される日本人独特のコミュニケーション方法は未だ健在です。ただその距離は縮まってきているのではないか。独自な進化(ガラパコス化)を遂げるのか。または世界標準に近づいていくのか。何だかいろいろと考えてしまいます。

関連記事
アートとコミュニケーションの深い関係 Part 2


Posted by Masafumi Otsuka

1

1

comments

Leave a Reply