「英語力」と「英語での会話力」の違い
直接は存じ上げませんがマイクロソフトのアメリカ本社で日本人エンジニアとして働くの牛尾 剛氏が最近書いた「生産性を向上させるためには、日本人エンジニアに英語での会話力は必須だと思った」というブログ記事、が面白い。
「何故外国人はやたらとDiscussionをしたがるか。多くの日本人がDiscussionに対し、誤ったマインドを持って臨んでいて勿体無い。もっと気軽に考えて欲しい。」
という素敵なメッセージを現場目線で非常に分かりやすく伝えています。ちょっと長い記事ですが、その小タイトルを書き出して見るだけでも勉強になります。
- マイクロソフトではやたらディスカッションが多い
- ディスカッションはバトルではなく、楽しいもの
- 「間違えてたら恥ずかしい」感覚はもったいない
- 自分にとってわからないことを聞くだけでも十分
- 合意できないことに合意できる
- 技術者には英語での会話力が必要
- 日本だけに閉じているのはもったいない
- いわゆる「英語力」ではない「会話力」が重要
特に私の目に留まったのは牛尾氏の指摘する大切なのは「英語力」ではなく「英語での会話力」のところ。牛尾氏はこの「英語による会話力」と「英語力」の違いを
ここでいう「会話力」は英語のTOEICのスコアが高くなってから、、、とかじゃなくて、たとえそれが300点台であっても、自分の言ってることを伝え、相手の言っていることを理解する「気合い」もしくは「慣れ」の要素での「会話力」
と解説していますが、この「英語力」と「英語での会話力(私はグローバル・コミュニケーション力という言葉でこのブログ中使っています)」を
「そもそも英語力がないと考えを伝えたり、相手の言っていることを理解出来ないのではないか」
と一体と考えている方が多く、この違いを理解してもらうのが難しい。
私は多くの日本人が「英語」を「日本人独特なコミュニケーションの取り方」で使用しているところに大きな問題があるのではないかと考えています。
ずっと日本に住んでいると(外国人から見て)我々自身が「独特なコミュニケーションの取り方」をしていることに気付きません。そもそも「他にもコミュニケーションの取り方がある」という発想自体ない方が多い。
以前別のブログ記事で書きましたが、私は日本人のグローバル化を阻むマインドセットとして
- 分からないことがあったらまず自分で調べてから聞きなさい。
- 考えはまとめてから話しなさい。
- 自分で出来ることは全て自分でやりなさい。
があり、これらが無意識に我々のDNAに刷り込まれている。そして多くの人がこの「日本人独特のマインドセット」のまま英語を話そうとしている。このマインドを持っている以上、牛尾氏のいう
- ディスカッションはバトルではなく、楽しいもの
- 「間違えてたら恥ずかしい」感覚はもったいない
- 自分にとってわからないことを聞くだけでも十分
- 合意できないことに合意できる
という感覚になれるわけがない。グローバルでは
- 分からないことがあったらタイミング、頻度関係なくその場で止めて聞く。
- 考えは相手を抱き込みながら一緒になって考え、まとめていく。
- 自分でなくても出来ることは他の人に任せて、自分の得意なことで貢献する。
というマインドが求められる。こうしたことを、改めて牛尾氏の記事を読んでいて感じました。仕事の現場で英語で困っている方にはこの記事、是非読んでいただきたい。何かの大きなヒントが得られるのでないでしょうか。
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