自由研究が自由な発想を奪っていく
都内の有名私立中学校に通う子供を持つ友人から昨年聞いた話。
夏休みの自由研究。海に捨てられるプラスティックゴミを誤って食べ、死んでしまう海中生物の問題に興味を持ち、これをどう解決していけば良いか、2名のクラスメートと組み、共同研究することになった。
事件はその中間報告で起きる。発表を聞いた先生が、
「君たちがいま出した解決案にcreativityがまるでない。そもそも、君たちが提案するアイディアなんて、既にどこかの研究者がやっているに決まっている。」
とダメ出ししたらしい。これを聞いた中学生3人は意気消沈。次に何をしたら良いか困ってしまったとのこと。
ひどい。。。そもそもこの先生は課題設定の仕方を知らないのではないか。
例えばプラスティック汚染の問題。どう解決するかという課題設定はあまりに中学生には大きすぎる。
そうではなく例えば、
これを解決しようとしている専門家達が今、どのような方法で解決しようとしているのか。それを調べ、その中で一番有望と思える解決策とその理由を考える。
みたいな課題設定にすれば、実際に研究論文を調べ、現場でどんな風に解決しようとしているのか、いろいろな視点で学べる。
また、まずは、日本語の論文や日本語に翻訳されたものから読み始めるも、研究の大部分は翻訳されてなく、英語で書かれているだろうから、英語で情報を取れるとアクセスできる知識の量が大きく広がることに気づく。
ピンと来た論文を出している研究者に直接コンタクトを取って見て、インタビューしてみるのも面白い。日本の中学生が自由研究の為に話を聞きたいというメールを受け取ったら、世界中のどんなに有名な研究者でも喜んで協力してくれるはず。
途中で論文内容が難しすぎて、挫折してしまい、再度課題を設定し直すことになるかもしれない。それはそれでとても良い学びになる。研究内容の質の高さよりも、こうした学びの方が圧倒的に大事。この学びが自由研究の結論になっても良い。
こうした学びが生まれるように課題設定してあげて、暖かく見守り、壁に当たった時にはサポートしてあげるのが、先生の役割ではないだろうか。
もちろんちゃんと指導できている先生も沢山いると思いますが、自由研究でダメ出しされ、自信をなくし、自由に発想する力、考えていく力が逆に削がれているのではないか。友人の話を聞いて考えさせられました。
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