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Twitter。その評価は私の周りでは賛否両論です。あからさまに拒否をする人、うまく使いこなせないでやめてしまう人、すっかりハマってしまう人といろいろいます。私はTwitter歴、1年。ブログの更新を告知したり、同じようなことを考えている仲間を探しに行き、その人のツイート(つぶやき)にコメントしたり、友人の近況を知ったりとした使い方をしていました。しかし、今回、想いを伝える手段としてのTwitterの威力を目の当たりにし、驚きとともに、すごいポテンシャルを持ったサービスだと気づかされました。
そう思ったきっかけは先週水曜日、朝の勉強会(正式名称:『朝カフェ次世代勉強会』)で「グローバル人材に求められるコミュニケーションスキル」というタイトルの講演する機会をいただいたことからでした。何と朝6時半開始の勉強会です。わざわざ朝早起きまでして、来ていただいて話を聞いていただく。だからこそ、話を通じてなんらかのInspirationを持ち帰ってもらいたい。
日本人はコミュニケーションにおいてメッセージの真偽や当否よりも(中略)『何が正しいのか』という問いよりも、『正しいことを言いそうな人間は誰か』という問い方が優先する。そして、『正しいことを言いそうな人間』とそうでない人間の違いはどうやって見分けるかについて客観的基準がない。だから結局は「不自然なほどに態度の大きい人間」の言うことが傾聴される。
–日本辺境論(内田 樹著)
昨年秋、「もっと若者に政治に興味を持って欲しい」とある著名な方の呼びかけで数百人の若者(大学生が中心)を集め、政治家・学者・新聞記者の計7-8名と大学生から20代のビジネスパーソン4-5名の計10数人程度を壇上に上げ、「どうしたらもっと若者が政治に興味を持ってもらえるのか。何が問題になっているのか」をテーマとしたシンポジウムのお手伝いをました。
途中までいってからいい淀んだり、一度言っておいてから、「何か違う」と撤回してみたり、同じことをちょっとづつ言葉を変えてぐるぐる回したり・・・そういう語り方は「本当の自分が思っていることを言おうとじたばたしている人の特徴です。すらすらと立て板に水を流すように語られる意見は、まず「他人の受け売り」と判じて過ちません。断定的であるということの困った点は、「おとしどころ」を探って対話することができないということです。主張するだけで妥協できないのは、それが自分の意見ではないからです。
–日本辺境論(内田 樹著)
「日本人には意見がない」という人が結構います。しかし私はそうは思わない。日本語という言語がそういうスタイルに適していないのではないか、そういったコミュニケーション方法を取らない、求められない言語なのではないかとずっと思い、このブログを通して問いかけてきました。
