相手(自分)をコミュ障と思う前に考えるべきこと

相手(自分)をコミュ障と思う前に考えるべきこと


communication_disorders私は企業でグローバル・コミュニケーション研修をしていますので、若手と話す機会が多いのですが、「実は私はコミュ障(コミュニケーション力に障害がある人)なんです」と打ち明けられるケースが少なくありません。

仕事以外でも打ち明けられるケースもあるところをみると、最近自分のことをコミュ障と思っている若い人が増えているような気がします。

しかし実際にそういう人と話してみると、問題なく普通にコミュニケーションをとれている。とれているどころか中にはその知識量、見識の高さに驚かされるケースが多い。少なくても自分をコミュ障と呼んでいる人で私自身実際にそう思った人は一人もいない。一体何が起きているのか。

そもそもコミュニケーションというのは相手がいて初めて成立するので、一方だけがコミュ障というのはおかしい(自閉症等、医学的な診断がある場合は除きます)。

「その現場をみせてください」と社長や人事の方にお願いして、コミュ障と思っている社員の社内での行動をオブザーブしたり、その社員が出席するミーティング等に参加させてもらったりすると、自称コミュ障の社員よりもそのコミュニケーション相手(大抵は上司)に問題があるように感じるケースが多い。

意識しているかどうか別にして、自称コミュ障の人と対話する際、すごいプレッシャーをかけている。相手を威圧しながら接している。コミュニケーション相手に凄まじいプレッシャーをかけてしまうと、コミュ障であろうとなかろうと関係ない。緊張してしまい、言葉がうまく出てこない。

私も20年以上前、銀行入社時、凄く威圧する先輩の下についたことがあります。何をやっても言っても怒る。彼の近くにいると時だけ緊張してしまい、まともな会話ができなかったのを思い出します。

そうした人の特徴として絶えず相手を詰める。

  • 「何でそんなことをやったのか」
  • 「そんなことも知らないのか」
  • 「で、何が言いたいの?」
  • 「結論は?」
  • 「(何か伝えようとするとすぐに遮られ)言い訳をしないでちゃんと私の話を聞きなさい」

など。こういう状況に追い込まれ、うまくコミュニケートできない人を「コミュ障」と呼ぶならば、こうした状況に相手を追い込み、情報をうまく引き出せない人も「コミュ障」と呼ばなければおかしい。

最近The Culture Codeという高い成果を出し続ける組織が共通して持つ企業文化について解説した本を読み、面白いことが書いてありました。

グループパフォーマンスに最も影響を与える要素としてそのメンバー間の言語IQの高さや複雑なアイディアを伝えきる力を挙げる人が多い。言葉(コミュニケーション力)こそ一番大切だと。

しかし、この考え方は間違っている。言葉は雑音でしかない。グループパフォーマンスを最も左右する要素は、一つの力強いメッセージ(暗黙のルール)が、グループメンバー全員に共有できているかどうかにかかっている。

「我々は(何を言っても恥をかかされることのない)安全な環境で働いており、(何か問題が起きても)連帯して責任を負っている」と。

自分をコミュ障と決めるつける前に、自分はこうした安全で一体感のある環境で働いているのか。相手をコミュ障と判断する前にそういった環境づくりを意識しているか。

「私はコミュ障なんです」というよりは「私は**という人と話しているとコミュ障になるんです」という言い方の方がより正確なような気がします。

参考記事
コミュニケーション力が低い人の特徴
「若い人から意見が出てこない」と思った時、自ら問うべき大切なこと
分からないことをその場で「分からない」というスキル


Posted by Masafumi Otsuka

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