「止めてもいいんだ」ではなく「止めなければいけない」の理由
先日、2年くらい前に行ったDiscussionクラスの受講生と久しぶりに集まって、同窓会をやりました。ちょうどフィリピンとニューヨーク赴任が決まった方々がいましたのでその送別会を兼ねて集まったのですが、海外赴任が決まった方が
「最近になってやっとミーティングで(置いていかれそうになった時)”Wait!”と止められるようになりました」
と言ったのにびっくり。あれだけ徹底的に止める練習をしたのに「最近になってやっと」とは。。。「それ、全然ダメ!」といって皆で大笑いしましたが、どんなに止める訓練をしても、やらなくてはいけないと分かっていても、出来ない。「大塚さん、それが分かっていても出来ないからみんな苦労しているんですよ」と他の受講生に言われ、かなり反省させられました。
過去、「”Um-hum”を使うのはやめましょう」、「Active Listeningを妨げる壁」、「Active Listeningを見える化」等、止めるテクニックに関する記事を書きましたが、今回は何故止めなければ行けないか。「止めて確認作業をすることがいかに相手に安心感を与えるか」、「逆に止めないで置いていかれることが、一生懸命説明しようとしている相手に対して、いかに失礼にあたるか」について声を大にして書きたいと思います。
高いコミュニケーション力を持っている人は共通して、常に自分が話の内容を理解しているかどうか、その相手に対して表情や言葉で絶えずシグナリングしています。良く「自分が理解している以上、黙って聞いていれば良いと思いながら聞いている」のと「自分が理解していることを絶えず相手に伝えながら聞いている」ことを同じと考えている方がいますが、これは同じように見えてまるで違います。これは外国人の立場から見るとよく分かります。
私はよくoDeskというグローバルアウトソーシングサイトを通じて世界中の人々に仕事を発注していますが、候補者を絞ったら、必ずVideo Skypeで登場してもらい、インタビューします。今まで恐らく最低15カ国、100名以上はインタビューしたでしょうか。当初は間違った人を採用したりしましたが、今では2分も話せば、かなりの確度で「この人で大丈夫かどうか」が分かるようになりました。英語のうまい下手はあまり関係ありません。ではどこを見ているのか。
直接会って仕事ができない以上、インタビューでみているのは「この人に安心して仕事を任せられるかどうか」一点に尽きます。それにはこちらの要望を、100%、正確に理解しているということが伝わってこないと安心出来ません。
ちょっとでも「ん!?」と思ったら即止めて、「いま言ったのは**ということ?」と確認をとって来るか。こちらの表情を見ながら、絶えず「私はあなたの話に興味を持っています」とか「伝えたいことも正確に理解していますよ」と表情や言葉でシグナリングしているか。それが伝わるとこちらは安心します。
逆に無表情で相づちを打っている人はこちらが不安になります。こちら側は一生懸命説明しているのに無表情に頷かれていると何だか透かされている感覚になり、「失礼だろう!」と例え本人が正確に理解していようが関係なく、真っ先に落としていきます。”Wait!”と止め、確認作業をしない日本人は間違いなくこういう風に見られています。これは別に1対1だろうと3人で話していようと30人で話していようと関係ありません。
- 気持ちよく説明している相手を遮るのは失礼なのではないか
は日本人同士、日本語で話している時の話で外国人と話している時はその正反対のマインドでいなければいけません。置いていかれそうになっているのに止めないということは、「相手に対して無礼きわまりない」と思える位、マインドを変えていく。
ちょうど10月からある会社で2ヶ月のDiscussion研修がはじまりますので、このマインドを身につけてもらうことを強烈に意識して大幅にプログラムを変えていこうと新たに決心しました。実験のやり直しです。良いアイディア、試してみて欲しいアイディア、絶賛募集中です(笑)!
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