何故出来る人ほど初心者に教えるのが下手なのか
今更ですが、昨年の新年の抱負として、大型バイクのハーレーを買うと目標を立て、ちょうど一年前にバイクの免許を取りに行くことからスタートしました。
40歳を過ぎて中型二輪免許、その後大型二輪免許を取る。20年以上ぶりに教習所に通うことになりましたが、そこで大きく感じたこと。
教官の教えるスキルが低すぎる。。。
例えばバイク教習でスラロームという短い間隔に置かれたコーンの間を交互に外からすり抜けていく技術を学びますが、まず教官のバイクの後ろに乗せられ
「こうやってバイクを倒して、リズムよくアクセルを加速して曲がっていけばいいんだよ。簡単でしょ。」
と体験させられる。
「簡単じゃないよ」と思いながら、自分のバイクに乗り換え、言われた通り加速したら曲がれず、壁に突っ込んでしまった。
「違う!もっとリズミカルに倒して!」
と教官に怒られるも「リズミカル」も「倒して」も言葉だけで、噛み砕いて説明してくれない。
「やっぱりセンスがないのかな」と落ち込んでいると、一緒に教習を受けていた生徒さんに
「私もはじめ全くできなかった。何度も転んでコツを覚えたんだけど、加速する所はハンドルがまっすぐになるこの位置からこの位置までのほんの一瞬。その後うまく後ろのブレーキを使ってターンする。。。」と細かくアドバイスしてくれる。
そしてその通りやってみると意外と簡単にコツを掴める。教官に
「ようやく出来るようになりましたね」
と言われたので「加速する位置とリアブレーキの使い方が大事なんですね」
と全く教えられていないことを伝えると
「そんなことも知らなかったのか。」みたいな表情をされ(←被害妄想)、殺意を覚えました(笑)。
私は新しいことが学ぶのが大好きで、色々なことにてを出しますが、テニスにしろ、外国語にしろ、音楽にしろ、上手な人、専門家と呼ばれる人ほど、特に初心者に教えるのが下手なのではないか。そう感じることが多い。
何故なのか。私なり少し考えてみました。
そもそも教える立場までいく人というのは昔からそれが好きだったり、得意だったりして、気づいたら上手くなっていたというケースが多い。英語が昔から得意だった。学生時代にテニスに熱中していた等。
この「気づいたら上手くなっていた」=「知らない間にできていた」ところが、初心者が上達する際の最も大切な部分になっているケースが多く、本来であればそこを噛み砕いて説明しないといけないのに、ここを説明しなければいけないという発想がない。
自分が苦労して学んだところは噛み砕いて教えることが出来るが、意識せず身につけてしまったスキルは教えることができない。
ここに大きな問題があるのではないか。スキルを向上させるのにどれくらい時間がかかったかをグラフ化したラーニングカーブというコンセプトがありますが、最近私が思うのは
自分よりラーニングカーブより角度が劣っている人にそのトピックを教えられないのではないか
と感じています。うーん。なかなか上手く説明できない。。。
ただこの話。私自身新たにチャレンジしてみたいことが沢山あるので、どうやったら初心者に上手に教えられる人を探すか、その目利き力をつけていく方法を含め、引き続き考えていきたいと思います。
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