分からないことをその場で「分からない」というスキル
「分からなければ『分からない』とはっきり言っていいんですね。これが一番の学びでした。」
昨年秋にある大手日本企業で2ヶ月(週1回、1回2時間)に渡り、Global Discussion研修を行い、終了後に受講生にこう言われ、また、昨年忘年会の席で以前行っていた一般向けのDiscussionクラスの受講生が、
「大塚さん所で一番学んだのは(英語というよりも)知らないことは、知らないと聞いていいんだということ」
だったと言われ、「え〜、そこ?」と驚きました。と同時にこれは、英語以前に世界をベースとして活躍する際に見過ごされている、最も重要な「スキル」なのではないのかと思うようになってきました。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という諺がありますが、これは日本では通用しません。どちらかというと「聞くは一時の恥であり一生の恥でもある」方が近い。私自身、帰国子女で日本での小学校教育がすっぽりと抜けているため、「大阪ってどこにあるの?」とか「この漢字なんて読むの?」と若いの頃(今でもあまり変わりませんが・笑)、気にせず聞き、「お前そんなことも知らないのか?」と良く笑い者にされました。いまでも学生時代の仲間内で集まった時、「大塚はバカでさ、稚内も読めなかったんだよ」とネタにされていることからもそれがよく分かります(笑)。
日本では分からないことをその場で聞こうとすると大やけどします。余程自分に自信がない限り、「そんなことも知らないのか?」と言われる恐怖からその場で知らないことは聞けない。そして自然と「知らないこと=恥ずかしいこと」に発展していき、いつしか無意識に「聞くこと=恥しいこと」に行き着く。そして知らないことをその場で聞けなくなってしまう。
あっ、これが悪いことだと言っているわけではありません。ほぼ単一民族でみんな平等に同じ教育を受け、同じ知識、価値観を共有する社会だと、分からないことでも後で自分で調らべられるし、日本企業は波風を立てないよう、時間をかけてDecision makingを行っていくので、その場で分からなくても後で誰かに聞くか、調べらば良いので特に困らない。
問題は英語を使ったグローバルな場で外国人と話す際、「そんなことも知らないのか」と言われるのではないかと、この日本独特のマインドを持って臨んでしまっている方が多いことです。こういった場ではその場でDecision makingが行われる場合が多い。英語力も知識も教養も十分に備わっているのに、「分からない」と聞けないが為に、Decision makingに加われずに、苦しんでいる方が本当に多い。
多国籍の人々と英語を使って話す場で何か分からないことを聞いても、「そんなことも知らないのか」と言われることはまずありません。少なくても、私は言われたことは一度もありません。みんな違う教育を受けて来ていますし、持っている知識、価値観も異なるので、皆さん当たり前のように「それどういう意味」と確認し合いながら話を進めています。
そう考えると、分からないことを「分からない」とその場でいうことは、英語を使ってコミュニケーションを図る際、一番はじめに身につけなければならない「スキル」なのではないか。以前「止めてもいいんだ」ではなく「止めなければいけない」の理由という記事を聞きましたが、止める以前に「分からないのが当然。だから聞かなければいけない。」というマインドを身につける方が先だと思えて来ました。
ただ、日本社会でそれを行うのは難しいので、例えやらなければいけないと分かっていたとしても、いざそういう場面に遭遇しても自ら心理的にブロックをかけてしまう。3年以上前に2重人格を演じるという記事に「日本用と英語用の顔を両方持つべき」と別の理由で書きましたが、やはり人格を変える位の意識が必要なのかもしれません。
参考記事
「理解出来ていないのは自分だけ」という誤った思考法
日本人のグローバル化を阻む3大マインドセット
「英語力」と「英語での会話力」の違い
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